I'm just holding on for tonight.

どこにも行けない呟き

作品を作らなくなった

作品を作らなくなってから半年経った。

16年くらい前から作り始めて、当初はただただ楽しかったことが、クオリティを求めるようになるにつれてストレスを感じるようになって、遂に作るのを辞めてしまった。

行き過ぎた完璧主義が災いして、完璧じゃない自分が作品を作る意味が分からなくなって辞めた。

 

作らなくなったメリット

・自由な時間が増えた

・自分の技術力やセンスのなさにイライラすることがなくなった

・自分をがっかりさせる恐怖がなくなった

・就寝時間を気にしながら作品を作るストレスがなくなった

 

デメリット

スマホをいじる時間が増えて、他の人が載せてる作品を見て「自分はもう、そちら側の人間じゃないんだな…」と切なくなる

・アーティストの存在を妄信している節があって、曲がりなりにも自分もその中の一部であることを自己肯定感にしていたから、それを失った

・人が作った作品を消費して批判するだけの人を下に見ていたのに、自分もそうするだけの人間になっていくことに愕然とする

 

ストレスが減ったけど、代わりに虚無感が増えた。

 

昔から自己肯定感がびっくりするほどなくて、小学校高学年の頃にはもう、「自分は周りの子達より価値のない人間だ」とポジティブに結論付けていた。

だからまず、まともになる為に勉強を頑張って、加えて作品作りというアイデンティティをもってして、足りない価値を埋めようと思った。マイナスからのスタートだった。

 

母親は私が作品を作っていることが好きだったようで、兄の真似をしてゲームをすると露骨に不機嫌になった。「あなたにはちゃんとした趣味があるのに」と言われた。

でもまず勉強が出来なければ何の意味もなかった。

成績が悪かった時、作品を「こんなもの簡単に壊せるんだからな」と言われた。その一言は、自分の中でずっと考えてきたことの答え合わせだった。

 

まともになりたかったから美大を諦めてまともな大学に入った。偏差値という価値を手放すことが怖かったから。

 

でも結局出来損ないだった。まともな仕事に就けなかった。まともになる為の、勉強という、偏差値という1番の核だった価値を失って、その代わりになりうる職歴を手に入れられなかった。

だからその分更に作品作りを頑張らなければと思って、せめて少しでも自分の価値を埋めなければという焦りで、この数年間ずっと作品を作っていた。苦しかった。

 

そして正社員になった今、「まとも」に近づけた今、もう作る必要がなくなったのかもしれない。

解放されたのかも。

もう、疲れた。

 

脳内のごちゃごちゃを書き出しただけでもう1000字。

こういう文章は自分の脳内を整理するためだけに書いてる。そして吐き出すとそれだけ脳のキャパシティが開いてくれる気がして。

 

価値とか意味とかを気にしだしたところから、人間の精神は崩れていくんだと思う。

気付くのが遅すぎた。