音楽文に寄稿した文章。
"I don't wanna be myself, Just wanna be someone else"
(自分でいるのが嫌だ、他の誰かになりたい)
今年一月の来日公演。
MCでボーカルのコナーが、これは僕のお気に入りなんだと言って、それからちょっとだけ笑って、この曲Sodaを歌って聴かせてくれた。
自分がずっと感じてきた事を、こんなにもストレートに歌われた曲は初めてだったから、心が透明になった気がした。
一年ほど前に、彼らの2ndアルバムBroken Machineがリリースされた。また一枚、私の人生に衝撃を与えるアルバムと出会った瞬間だった。
どの曲も、負の感情をこれでもかと剥き出しにしたような歌詞が特徴的だった。もはや言葉の一つ一つが武器だった。
迫り来るコナーの歌声や楽器の重低音とも相まって、まるでドス黒い塊を真正面から投げつけられたような感じがした。
"I hit my head up against the wall
Over and over and over and over again and again
'Cause I don't wanna be like them" / Amsterdam
(僕は壁に頭を打ち付ける、何度も何度も繰り返し。あいつらみたいになりたくないから)
"I'm just a broken machine, I can't do anything" / Broken Machine
(僕はただの壊れた機械だ、何もできない)
"I'm not made, I'm not made by design,
Can you be, can you be satisfied?" / I'm Not Made By Design
(僕は目的があって生まれたんじゃない、どうやったら満足できるんだい?)
常に劣等感やネガティブ思考に苛まれていた私は、聴いていて幾度となく、心に何かが突き刺さるような苦しさと、それと共になぜだか、不思議な心地よさをも感じていた。
彼らの音楽はこの一年、私の心に深く根を張って離れようとしなかった。
アルバムリリースの翌月には世界メンタルヘルスデーがあり、彼らはメンタルヘルスの重要性を広めるキャンペーンに参加をしていた。
私はコナーのインタビュー記事を読んだ。
私の憧れのミュージシャンの言葉は、私に衝撃を与えた。
"I’m cool with being an anti-cool figure"
(僕は自分がかっこよくなくて構わない)
彼はそこで、ツアー生活で自身のメンタルヘルスが悪化したことについて、赤裸々に語っていた。
家族や友人達の元から遠く離れ、トランクに荷物を全部詰め込んで、狭いバスの中で何ヶ月も過ごさなくてはならないこと。バスの外では自分のことが大好きな知らない人達に取り囲まれ、その中で毎晩パーティーの中心人物を演じ続けなくてはならないということ。
典型的なミュージシャンの生活だ。音楽活動の為に私生活を疎かにし、代わりにドラッグ等に安らぎを求めて潰れていくミュージシャンは沢山いるのだという。彼はその生活が、"耐えられなくなった"と話した。
バンドは一時期解散の危機にまで直面し、不眠症や鬱状態にまでなった彼は、カウンセリングにかかることに決めた。
彼はこう言った。
"僕は「男らしい」という言葉に当てはまる人間じゃないと思ったから、その反対になることにしたのさ。そもそも「男らしい」という言葉の意味がわからないよ。僕はそんなものの必要性が感じられない。僕は自分の気持ちは全部正直に吐き出す。その方がよっぽどクールだし、健康的だと気付いたんだ"
彼のインタビューを読んで、私はふと、彼と同じイギリス出身の女優エマ・ワトソンがHe For Sheというキャンペーンで行ったスピーチを思い出した。
フェミニストで知られる彼女はここで、フェミニズムは女性だけでなく、男性の為にもあるのだと語っていた。
男性が女性を支配する構造を無くすことは、女性の強さを肯定することは、反対に弱い男性の存在を受け入れることでもあるのだと。
イギリスの若い男性の自殺率は女性よりもずっと高いらしい。そしてそれらは「男らしさ」という世間が作り出した「虚像」の為に、自分の感情を表に出せずに苦しんでいる人が沢山いるからで、男性はその「男らしさ」から解放されるべきだと、彼女は主張していた。
男らしさ。女らしさ。子供らしさ。母親らしさ。はたまた、日本人らしさ。
性別だけに限らず、社会には色々な「らしさ」が存在すると思う。
らしさは世間の偏見やステレオタイプが築きあげたただの「虚像」だ。でも気付かないうちに私達を支配している。そのなかで上手に生きられる人もいるだろうけれど、人によっては合わない靴を履かされているようで、歩くのは辛かったりする。
たとえその靴がどんなに高価で立派だったとしても。
ここ一年でも、自ら命を絶ってしまった有名人の名前を多く耳にした。
Aviciiの死を知った日、私は何気なくツイッターを眺めていて、こんな人の呟きを見た。
"天才はみんな早死にしちゃうもんなんだなあ"
なんだか、むちゃくちゃに寂しくなった。
ねえ、だって、彼は私達に沢山の素敵な音楽を与えてくれて、その音楽は私達の生活の一部となって今も鳴り響いていて、それでいて彼自身は、「天才」という名の下に、遠くに突き放されてしまうのか。
彼は才能豊かで、若くして成功して、人々の羨望の的のような存在だっただろう。世界にはそんな人は他にも沢山いて、でも、その中には同じように自ら死を選択してしまった人も多くいる。
彼らを苦しめていたものは一体何だったのか。
知る由が無いし、他人が憶測を並べるべきではないだろう。
ただ、彼らが苦悩や挫折と向き合っていた時に、社会が作り出した「ミュージシャンらしさ」とか、それこそ「天才」だとか、あるいは「成功者」、「有名人」とかいうキラキラした自身の「虚像」は、彼らを絶望の淵に追いやってしまったんじゃないのか。「男らしさ」が男性を苦しめたのと同じように。
私はそう思わずにいられない。
コナーは「男らしさ」とか「ミュージシャンらしさ」とか、そう言った「虚像」を全て自分から脱ぎ捨ててしまった。そしてコナー・メイソンというたった一人の人間として、私の前に立っていた。
彼がやってのけたことは、簡単なように見えて、とても大きなことだと私は思う。
有名人だけじゃない。現代の私達は皆、社会が作り出したキラキラした空間にいる。
インターネット。
ネット空間は現実の綺麗な上澄みだけをすくい取って見せてくる、まさにそれ自体が巨大な「虚像」の製造工場だ。
"僕達はスクリーンの中の2Dの世界に取り憑かれてるんだ"
コナーも以前そう発言していた。
Read this earlier 👍🏼 (1/2) pic.twitter.com/rTh2UlWr9q
— Conor Mason (@NBTConor) November 3, 2015
(2/2) pic.twitter.com/LlH8VsWoZ2
— Conor Mason (@NBTConor) November 3, 2015
フェイスブックやインスタグラムは、綺麗で幸せで、キラキラした写真で溢れかえっている。ああそうだ、インターネットは「幸せ」そのものにも「らしさ」を作ってしまったんだ。
だからか私はいつの間にか、自分がちゃんと「幸せ」じゃないことに、焦りや劣等感さえ感じるようになっていた。
"I try to be happy, but then I forget" / Soda
(僕は幸せになろうとしてるけど、そのうちに忘れちゃう)
ああ、私もだよコナー。幸せってなんなんだろう。鬱状態だった私にとって、幸せほど厄介な感情はなかった。
きっと実際のところ、自分の「幸せ」を他者に感じさせるのはとても簡単なんだろう。でも自分が本当に幸せを感じるのは、ずっと難しいことのように思える。
私は他の人と同じように「幸せ」を表現するのは苦手だったし、それがすごく劣等感だった。人とお揃いの靴は私には合わなくて、上手く歩けなかった。
アルバムBroken Machineは、そういった全ての「虚像」に対する怒りに思えた。テーマは時に彼自身だけでなく宗教や政治であったりもするけれど、それらのもつ「見せかけ」を否定して、ビリビリに引き裂いて、生身を曝け出してきた。そして抑圧された私達の怒りをも、代弁しているように思えた。
彼はまた私の周りの虚像を全て剥いで、生身の私に向かって真っ直ぐに歌っていた。見せかけの世界に騙されるな、僕を見ろ。僕はここにいて、君に向かって歌っているんだ。
彼らの音楽を聴いていて感じる、例えのうまく見つからない心地よさは、きっとそこにあるのだろうと私は思った。
今年の夏、人生に行き詰まっていた私は、気がつけばイギリスで行われるレディングフェスのチケットを購入していた。
一番の目当ては言うまでもなかった。
ずるい。
Nothing But Thievesのライブを再び見て私はそう思った。
何を隠そう、やっぱり私の目に映るコナーは、めちゃくちゃにかっこよかったのだ。
彼はステージの中央に立ち、持ち前の七色の歌声でもって私の心を射抜いた。時折笑い声を上げながら、オーディエンスを意のままに操り、これが自由だと言わんばかりに、全身を振り乱して踊っていた。
Broken Machineは、ジャケットのアートワークの存在があってこそ完成する。
ヒビが入った女性の顔が、金継ぎで修復されているというデザインだ。
日本の伝統技術からインスパイアされ、"一度壊れてしまったものを再び芸術にさせる"という意味を取って、このデザインを選んだのだという。
金継ぎは一度壊れることでしか存在しえない芸術だ。
彼らは絶望的な曲の数々を、アルバムのアートワークを通して、自ら全肯定してみせてしまった。
自分の弱さや負の面は、確かに自分を成り立たせているもので、それらはとても美しくできるのだと、証明してみせたのだ。
自身の苦悩や挫折を曝け出し、それらを音楽に変えて、大声で歌って踊ってしまう彼はもう、無敵でしかなかった。
12曲目のReset Meを聴く度に泣いてしまう。
"Hey baby, you ok? Still feeling strange?
I'm starting to think our luck could change"
(大丈夫かい?まだ変な感じがするかい?僕は僕らの運命は変われると思い始めたよ)
この曲はボーナストラックとして挿入されているけれど、このアルバムには必要不可欠だなと私は思う。
全編を通して怒りの塊を叩きつけるように、あるいは苦しみや悲しみを切々に歌ってきた彼が、ここで私に向かって、大丈夫かい?と尋ねるのだ。
ここに来て初めて、晴れ渡るような明るいメロディーと共に。
この曲は政治的なテーマも持っていて、それでこその
"'Cause of where you're born, Don't you dare protest"
(産まれた場所に準じて抗議しようなんて考えるな)
という表現があるけれど、だからこの曲は世界中の人間に向けて、そして例外なく私一人の心にも、とりわけ語りかけてくるような気がした。
"What if we restart"
(僕らが改めてスタートを切ったなら…?)
彼は先頭に立っていて、金継ぎで修復された彼はすごく眩しく見えた。
今度は私の番だった。
私も壊れた自分を拾い集めて、それらを繋いで、修復しなければいけないと思った。
一つの作品を作らなければいけないと思った。
多分それは、私の人生だ。
(※歌詞や彼のインタビューの日本語訳は自身の意訳を含みます)
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