I'm just holding on for tonight.

どこにも行けない呟き

【ライブレポ】Nothing But Thieves

一体私は彼らについて何万字書いてきたんでしょう。

彼らへの感情は、ライブレポを何本書いても、漫画を描いても、止めどなく永遠に溢れ出てくる。

 

彼らの4thアルバムDead Club Cityの時代がそろそろ終焉を迎えそうだったので、2月に行われるEUツアーに行こうか迷った。

祝日を有休で繋げたら、リトアニアポーランドの2公演に行けなくはなかったから。

でも彼らの存在をどこまでも求めるようになってしまったらと思うと怖かった。

何度も書いてきたけれど、私は何かを好きになるのは苦手だから。それを失ったときに耐えられないので。

 

航空券の検索も何百回もかけていたけれど、この漫画を描き切るまでは絶対に買わないと決めていた。

 

そして描き終えた12月中旬、なぜか検討しはじめた頃より2万ほど安くなった航空券を見つけたのと、ボーナスを貰ったのとで、遂に決断を下した。

 

今回もイラストを描いていった。

実は漫画を描き終えてから、何故か反動でスランプに陥っていたので、あまり出来は気に入っていない。

 

ツアーの2週間ほど前に、サポートアクトが発表された。

なんとロキソニで見たばかりのThe Snutsだった。

なんだか彼らの存在に救われた気がした。はるばる見に行く理由が一つ増えたので。

昨年行ったオーストラリア公演のサポートアクトは、失礼ながら、記憶に欠片も残っていない。基本的に前座の存在は、不安障害持ちの私にとっては耐久レースでしかない。

サポートアクトまで楽しみに思えるライブなんて、いつぶりだろう。嬉しい。

 

 

EUツアー

ツアーはドイツから始まった。

やはりどうしてもセットリストが気になってしまう。

事前に曲のリクエストを募っていたものの、初日は割と無難なラインナップで、何とも言えなかった。

けれど数日後に、目を疑うような曲が仲間入りしていた。

 

3rdアルバムMoral Panicの曲、Free If We Want It

もう何年も演奏していなかったのに。

 

We can be free if we want it
Or we can stay in this lane all alone
Just say the word and I'm on it
The past is receding so we can move on

僕らは望めば自由になれる
このままここに留まってもいい
声をかけてくれたら共に行くよ
過去は過ぎ去っていくから
僕らは前へと進めるんだ

 

I'm not a saint
I've got no faith to lose, only to gain
At least I can dream

僕は聖人じゃないから
失う信念はない
手に入れるものだけ
少なくとも 夢見ることはできる 

 

If it goes wrong
I'll reassure myself, I knew all along
At least it was real, it was real

上手くいかなかったら
自分にこう言い聞かせる
全て分かっていたことだと
少なくともそれは 本当だったと

 

私はこの曲が大好きだった。

初めて聴いたとき驚いた。彼らがこんなに優しい曲を書くなんて。

 

Conorもこのアルバムの中で一番のお気に入りだと言っていた。

「もう僕が必要のないものを、この曲の中に置いてきたんだ」

 

そう。この曲は、2ndアルバムBroken Machineで、地獄の底で私の傍に寄り添って座っていた彼が、立ち上がって、私に手を差し出して、一緒に行こうと語りかけてくる。そんな曲だった。

 

“We can be free if we want it”という言葉が、私がタトゥーを入れた大切な曲、Graveyard Whistlingの歌詞の意味と、一つに重なるところも好きだった。

私はこの2つの曲はだと思っていて、陰の方を自分の人生に刻むことに決めた。

 

Graveyard Whistlingはライブで聴いたことがあったけれど、この曲は聴いたことがなかった。コロナのせいで3rdアルバムのアジアツアーが無かったから。

Moral Panicは、2020年のパンデミックの真っ只中にリリースされた。

2021年と2022年に行われたUKとEUツアーの時は、日本はまだコロナの制限で帰国後にホテルで2週間の隔離が必要だったから、何をどうしたって見に行けなかった。

そうしているうちに次のアルバムの時代が来て、この曲はセトリから消えてしまった。

 

オーストラリアでメンバーに会った時にConorとJoeへ渡した手紙に、日本でこの曲を演奏してほしいと書いたくらいには聴きたかった。

手紙で伝えたものの、サマソニの限られた時間で演奏してくれることは特に期待していなかったし、結局出来るはずがなかったから、別にがっかりはしなかったけど。

それが、ここにきてまさか復活するなんて

こうなるともう、そこから先全てのセトリを血眼でチェックせずにいられなくなってしまった。

…と、数日後のセトリからは、見事に再び抜け落ちていた。

君達さあ…

君達の音楽には何度も救われてきたけれど、同時に君達自身はどこまでも精神をぐっちゃぐちゃに引っ掻き回してくるじゃあないか。

はるばる見に行って、もしもこの曲を聴けなかったら、多分絶望してしまう。

 

ということで、とりあえず“I'm here to hear Free If We Want It”と書いたサインを用意した。

我ながら韻を踏んでいて面白いと思ったので、メンバーが見て笑ってくれたらいいと思った。

彼らが私という人間を認識してくれることが前提のワードであるという点は自重しない。

 

リトアニア

6日の仕事終わりに羽田から日本を発った。

オーストリア乗り継ぎ。というか羽田からオーストリアまでの直行便があったことが驚き。

謎にANAの航空券を手にしていた。いつも一番安い航空券を見繕っている貧乏トラベラーなので、海外旅行で日系の航空機に乗るのはこれが人生初だった。

Can I have Orange juice?の英語で始まらない旅も初めてだったから、なんだか奇妙な感覚だった。正直海外の会社の方がわくわくして好きだと思った。

 

翌日の昼、ライブのあるリトアニアの都市、Vilniusに降り立った。

彼らの一つ前のライブはエストニアで行われていて、首都Tallinnからの航空便は1本しかなかったから、もしかしたら誰かしら乗っているのではないかと思ったけれど、陸路でも十分に辿り着ける距離だったし、LCCだったから望み薄だった。

とはいえ私の到着の1時間後だから、それくらいなら待ってみる分には何の問題も無い。

ということで出口に佇んでいたら、なんとThe Snutsのメンバー4人が出てきた。

不意打ち過ぎて焦った。

とりあえず日本から来たと伝えたくて、必死でめちゃくちゃな英語を喋ってしまったけど、メンバーはみんな優しかった。

NBTのメンバーは一緒じゃないと言われたけど、彼らに会えたので、なんだかもうそれで満ち足りた気持ちになって、宿へと向かった。

 

秒で使い道がなくなったサイン。

カスカスになったインクと戦って書いたんだが。


ヴィリニュスの街は、可愛い民家と旧ソ連の影響を思わせる無機質な建築物のミスマッチさが気に入った。


海外のライブは会場に早く着いた者勝ちだし、終わるのも深夜に近いから、会場に限りなく近い場所に泊まりたかった。

あまりホテルが周辺に無かったので、またAirbnbで民家に泊まることにした。

距離は徒歩13分程。家主は私がコンサートを見ると伝えたら、もう会場もあそこだねと分かってくれていて、鍵もくれた。

 

開場待ち

翌朝。

私はここにライブを見に来ているのだから、会場に遅れて行く理由なんてない。

けれど早朝の気温は-4度

服装はブラキャミ、ヒートテック七分袖、ヒートテック長袖、Tシャツ、セーター、NBTスタジャン、コートの、計7層を装備した。

腹に貼るカイロを貼って、貼らないカイロも持った。

下は裏起毛タイツにヒートテックのパンツをはいて、モコモコの靴下を重ねた。

 

それから2月のヨーロッパは、朝日が昇るのが遅い。

日ノ出前にライブ会場に向かうなんて、なんてアホなんだろうと思いつつ、7:10頃に着いたら、もうすでに5人のグループがいた。

アホは私だけじゃなかった。

 

6番を貰った。

開場時刻は夜の7時。すなわち、ここから約12時間の待機がスタート。

海外のライブのこの狂った文化は一体なんなんだろうね。一日がかりの大イベントだよ。

でもやはり番号を手に入れさえしたら、割といい加減で、順番に場所を離れてもよかったので、近くのモールに行ったりした。

それから、彼らもそこまで熱狂的なファンガールが大量に存在するバンドでもないので、夕方頃までは30人くらいしか集まっていなかった。

 

自分でも馬鹿な真似をしてると思いながら購入した災害用の防寒アルミシートを、当然のように持っている人が何人もいた。

インスタのフォロワーが結構いたので、日本から見に行くと投稿していたのもあって、予想通りアジア人は私1人だけだったけど、割と歓迎して仲間に入れてくれた。

 

それと思った。

ヨーロッパの色んな国から人が見に来ているから、ほとんどの人の英語が第二言語で、オーストラリアの時よりも聞き取りやすかった。

フランス人の子の英語、ベルギー人の子の英語、ポーランド人の子の英語、フィンランド人の子の英語。いや、もちろん私の英語なんかよりは比べ物にならないくらい全員完璧だったけれど、それぞれ独特のものがあった。

ならば私の英語は、日本人の英語として、存在していていいのかもしれないと思った。

私ももっともっと英語を使いたいなあ…

 

Pardon?やSorry?、Say that again?といったワードも飛び交っていた。

やってきた人にみんなが“Where are you from?”と聞いているのも新鮮だった。韓国やオーストラリアでは無かったものだから。

EUツアー、ひょっとしてはまってしまうかもしれない。

 

少し前に、Dead Club CityをテーマにしたZINEプロジェクトを企画していた人がいて、イラストと漫画の広告を載せてもらった。

彼女本人に会うことが出来たので、実物を読ませてもらった。

クオリティが半端ない。

 

私と、せっかくなので日本人のお友達をお誘いしたページ。

お願いしていなかったけど、モノクロ同士だからか、お隣になって嬉しい。

 

地味に一番のお気に入りかもしれないページ。

何度見ても笑ってしまう。発想が好きすぎて作った本人に感謝のDMを送った。

 

街を舞台にした架空の記事とかを書いている人がいて羨ましかった。

その創作力は、ネイティブスピーカーの特権だ。私の英語は説得力のある文章をしたためられるレベルには一生なれない。

イギリスをはじめとしてヨーロッパ、南北米、アジアの総勢45名が参加した大規模なプロジェクトで、喜ばしいことに、私が渡航する前の公演で、既に彼女はこの雑誌をメンバーに渡すことに成功していた。

彼らがニヤニヤしながら読んでくれている姿が目に浮かぶ。

 

お昼にパスタやマックを買ってきて、地面に座って食べている子がいて、心底羨ましかった。

私は大切なイベント前は前日から食事をとるのが不安になるので、この日も朝から何も食べてなかった。ファストフードなんてもってのほか。絶対にお腹が痛くなる。

 

日中は0度まで上がった気温も、日が沈んで再び下がり、-5度。

しかし恐ろしいことに、コートは中で預けなければいけないのではないかという話になった。そんなことに時間を取られて最前列を逃してしまったらたまったもんじゃないと、エアビーに置きに戻った。

代わりに持ってきていたユニクロの折りたたんで収納できるジャケットを羽織って、直前に脱いだ。

冬のヨーロッパのライブは、冗談抜きに命懸けだ

もう2月なんかにやらないでくれ…

 

開場し、ステージ目掛けて駆け込む。

とりあえず無事に最前列が取れた。

一番前にいるということは、全ての観客を背後に従えていることになるので、とても怖くもあるのだけど、朝から一緒に開場を待ち続けたフォロワー達も真横に勢揃いしていたので、それなりに安心感があった。

何公演も追いかけている百戦錬磨の彼女達は、慣れた手つきで次々と服を脱いで、あっという間にキャミソール姿になっていた。

 

The Snuts

スナッツは安定した楽しさだった。

彼らは一度体調不良で出演できなくなっていたから、改めて見れることを幸運に思う。

直前に決まった前座だもの、ロキソニで見たばかりの私は、彼らのライブを盛り上げることにかけて、周りの人間に負けてはいられない。大声で熱唱した。

 

ロキソニでやらなかったNovastarを聴けて良かった。

 

Joeが私のGloriaの歌詞をもじったサインを見て、笑顔を見せてくれた。

 

終わって遂に、彼らのセットの準備が始まる。

ヴィリニュスは会場が小さかったから、ステージが近かった。

…と、隣の子が腕を思いっきり伸ばしたら、なんと貼り付けてあるセトリの写真が撮れて、それを見せてくれてしまった。

 

私の一番聴きたい曲は、その中になかった。

 

愕然とした。

 

どうしよう

 

聴けないことは言うまでもなく悲しいけれど、困ったのは、“I'm here to hear Free If We Want It”のサインの使い道だ。 

彼ら5人が即興でセトリにない曲を演奏することはないことぐらい知っている。

いつだって私が一番したくないのは、メンバーに迷惑をかけることだから、私のサインで演奏中の彼らを困らせたくはない。

かといって、やらないことを私達が知っているのも彼らからしたら想定外なので、初めから次の公演でやってほしいと伝えようとするのも奇妙になる。

 

考えた末、苦肉の策で、その場で自分が見に行く2つの都市の名前を書き加えた。

 

これが書き加えた最終バージョン。

これなら次の公演も私が見に来ると分かるから、どうにか伝わってくれと祈った。

 

隣の子は私と同じようにConorに書いてもらった言葉のタトゥーを入れていて、Tシャツも一緒だったので、盛り上がって写真を撮った。

なんだ。

EUツアーは韓国とも、移民の沢山いるオーストラリアとも違うと身構えていたものの、人種という枠に囚われていたのは他でもない、私だけだった。

会場で出会った人達はみんな、とてもフレンドリーだった。

 

Nothing But Thieves

いよいよ彼らのDead Club Cityの世界の、終わりの始まりが来た。

ライブの一曲目は、再びWelcome to the DCCに戻っていた。

この曲の胸の高まるような始まりは、ショーの開幕にぴったりだと思っていたから、嬉しかった。

この曲の時点で多分Conorは私に気付いた気がする、と言い切れるくらいの自己肯定感が欲しかった。

でもほら、アジア人私くらいしかいなかっただろうしね。真正面に立っていて、最後まで気付かなかったことはないだろう。

でも見下ろす形になるから、実際私を一番見ていたのはPriceだったのではないかと思う。

 

しょっちゅう忘れる。ステージの写真を横に撮ること。

というか、そもそも近すぎて全員を撮れない問題

 

Conorを取るといつもJoeは後ろ姿ばかりになってしまう。

 

DomとJoeはかなり離れた位置に立つし、互いにそっぽを向くようにマイクとキーボードが設置されているから、二人を同時にカメラに収めるのはいつも難しい。

君達実は仲悪いんか…?というのは冗談だけど、スナッツのメンバーを見習ってくれと思った。

 

それから今回のツアーは、謎にステージ前に、馬鹿みたいにでかいスピーカーがいくつも陣取っていて、完全に視界の邪魔になっていた。

多分、どこから見ても必ずメンバーの誰かが見切れる仕様になっていた。竜安寺枯山水かよ

ツアー初日からキレているファンを何人も見た。一体誰のアイディアなのか。

Conorが動くたびに姿が見えなくなったと言っている人もいた。彼らは自分達のボーカルのサイズをちゃんと認識すべき。

ワルシャワではさらに最悪で、私の場所からはPriceとそのドラムセットが全く見えなかった。

 

ロキソニの後だからこそ改めて噛み締める。やっぱりこんなに一緒に歌えるくらい好きなバンドは彼らだけだと。

 

リトアニア語でありがとうはAčiū(アチュ)と言うらしい。

まじでそれで合ってる?と、恐る恐る一度オーディエンスに聞くConor。

そのあとのIf I Were Youでドヤ顔で披露。

かわいい。

誰かが、それじゃクシャミしてるみたいだよ、と呟いていた。

そう思うと、6年ぶりの来日だったのに、難解な「ありがとうございます」をちゃんとマスターしていた彼を愛おしく思う。

 

Conorって、淡いブラウンのとても素敵な色の瞳をしているのだけど、ステージ上の彼は時々恐ろしい目をしているなと思う。闇に呑まれそう。

 

一番の目当ては聴けなかったものの、オーストラリアで見たはずなのに脳からすっぽ抜けていたReal Love SongDo You Love Me Yet?の復活はすごく嬉しかったし、Conorに煽られて大声で歌った。

照明のカラーがMVを思い起こさせて素敵。

 

If I Get Highを聴くたびに思う。

もしも天国があるとしたら、こんなだったらいい。

白いライトに包まれた彼は、もはや神々しいほどに美しかった。

 

段々とライブで動画を撮る意義が分かってきたので、事前に欲しいと決めた曲はちゃんと撮り、お馴染みの歌う曲はもうスマホを持つのをやめた。中途半端にどの曲も切り取って、なんでその数十秒間しか撮ってないんだ、と過去の自分に怒りを覚えることが今までよくあったから。

それでも目で見て自分が楽しむことを一番に優先させているから、ところどころConorの首が切れていたり、誰も映っていなかったり、相変わらず酷い動画ばかりある。

 

これなんか最初から最後まで全部ぼやけてて感動するね。どこにピントあってんの?私はこの箱で一番彼に近い場所に立っていたというのに。

 

そんな理由から、今回は初めてJamを全て動画に収めた。

 

事前にセトリを確認した時に、Free If We Want Itが入る前に代わりに演奏されてた曲、You Know Me Too Wellの演奏後に、サインを掲げた。

 

Conorは目が小さくて黒目がちだから、正直見てくれてたのか分からない。

でもJoeが気付いてくれた。

彼は私のサインを見て、それから私の顔を見て、そして、笑った

あーこれもう、完全に私の事認識したな

なんで君ここにいんの、って笑いだったと思う。私も自分のしていることが可笑しくて笑ってしまった。

笑いながら、ひたすらWarsawの場所を指さして見せた。

彼の事だから、私が過去にこの曲をリクエストしていたことも思い出してくれたと思いたい。

 

アンコールでは、これまた復活した4thアルバムの最後の曲Pop The Balloonで、みんなで風船をステージに投げつけてカオスだった。

観客がやりたい放題なのは海外のライブならではだなあと思った。

 

ライブの終わりにもう一度サインを掲げたら、Joeは再び私を見て、笑いながら軽く2回頷いてくれた。わかった、わかったからね、と言った感じで。

とはいえ、持ち前の致命的なネガティブさの方が頑固だった。

その時には本当に自分を見ていたのか、本当に頷いてくれていたのか、実は隣の子を見ていたのではないか、と次々と疑念が湧き上がってきて、確信が持てなくなった。

 

さて、明後日のライブではどんな結末が私を待っていることだろう。

正直なところ、一抹の不安を拭うことは出来なかった。

 

ポーランド

リトアニアからポーランドも飛行機は一本しかなかったけど、やはり彼らは陸路のようで会えなかった。

なぜ私の方が高額な交通手段を使っているんだか…

 

オーストラリア公演で知り合った子とホテルをシェアすることになった。

正直メンバーに会った時よりも緊張した。彼女のオージーイングリッシュは難解だったので。

でも彼女はとても気さくでいい人だった。

面白いな。オーストラリアで出会った人とポーランドで再会するなんて。

こういうことがあるから、私はなんだかんだ自分の人生を嫌いになれない。

 

再び開場待ち

翌朝、再び、そして最後のライブ。

オージーの彼女はEUツアーを8公演も見に来ていて、初めは羨ましいとは思ったけれど、体力的にも私には2,3公演が限界な気がする。丸々一日を捧げる儀式をそんなに沢山乗り越えられる気がしない。まあ、どうせ休みも取れないしね。

ポーランドはファンがライトのプロジェクトを企画をするくらい熱心だったから、朝早くに既に大人数のグループが陣取っていたらと思うと怖かった。

彼女を残して、朝6時半にホテルを出て先に会場へ向かった。

 

頭がおかしい。

でも地球の反対側から見に来てるだけですでに私は頭がおかしいので、ここまで来たならもうどこまでもとことん狂うべきだと開き直った。

ポーランドリトアニアより緯度が低いのに、なぜか朝の気温は-6度を記録していた。

恐らく人生で初めて経験する寒さだった。

でもなんだかもう、あまり寒く感じなくなっていた。

 

辿り着いた会場にはまだ1人しかいなくて、拍子抜けしてしまった。

彼女はペンを持っていなかった。

なんとなくメンバーに会ってサインを貰えたらと思って持ち歩いていた自分のマッキーが、ここで活躍するとは思わなかった。

 

私は自分で自分の手の甲に2の数字を書いた。

ブレスレットはヴィリニュスでフォロワーの子に貰ったもの。

 

電子だけどポスターが掲示されていた。

本当はこのデザインを紙で欲しかった…

 

3人目に来た子はトルコ人で、彼女もフォロワーだった。

彼女からあなたのことフォローしてるよ、と言われて、アカウントを見せてもらったら、私もフォローしていた、Conorの着ている服がどこのブランドのものか片っ端からチェックしている狂ったアカウントだった。

この垢の中の子がこんなに可愛い子だったなんて… 海外のオタクの擬態化は凄いぜ

正直、英語ネイティブと開場までひたすら英会話をぶつけ合う気力もなかったので、時折彼女とかわす会話が救いになった。

もちろん彼女の英語は完璧に流暢だったけど、私への理解もあってとても優しかった。でも彼女は4か国語喋れるらしいので、2か国語目で苦戦している私は、彼女の足元に及ぶどころか地中に埋まっている。

彼女は今イタリアに住んでいて、この前はAdoのライブがあったけど、人気でチケットが取れなかったらしい。

 

もうさあ、海外のライブは修業だよ。

昼間は憐れに思ったのか会場側が中に入れてくれていたけれど、午後2時過ぎに追い出されてしまった。

日が沈んで気温は再びマイナスになってもなお、私達は外で何時間も待機させられた。

これが耐えられるのなら、もう私は何も怖くはない

職場で退勤時刻を待つ時間なんか、笑えるくらい可愛いものだったなとかくだらないことを考えた。

 

ワルシャワの会場は大きかったから、入場列は6列に分けられた。一緒の人達と離れ離れになり、不安が増す。

開場時刻はヴィリニュスより30分早まって午後6時半。唯一の救いだった。開演時刻は同じ1時間半後だったけど。

 

この箱のキャパシティは、スタンディングは6,000を超えるという。

よくよく考えたら、こんな大きな会場で最前列を狙うのなんて初めてだな。単独公演というよりは、サマソニの時を思い出させた。

 

フォロワー達とはバラバラに振り分けられて入場したけれど、ステージまで駆け込んだら、偶然トルコ人の彼女の隣になった。

彼女とライブを見れるのが結構嬉しい。

 

反対の隣も、ヴィリニュスの時にも一緒に見たフォロワー達だった。心強い。

こうして私は、2公演で、3,000人と6,000人の群衆の先頭に立つことになった。

これは一種の不安障害の暴露療法なのでは?

主治医に言ったら一笑に付されてしまうだろうが、自分は今回の旅で本当に色んなことを頑張れたと思う。

 

The Snuts

スナッツのセトリは一昨日から変わっていた。

Hallelujah Momentの歌詞をもじって、“NBT×The Snuts I'll die happy here tonight”というサインも作ろうかと思ってたけど、パネル芸人になるのも笑われそうな気がしたし、一昨日やらなかったから、作らなくてよかったと胸を撫で下ろしたのに、この日は3曲目にいきなり演奏した。

うーん。やっぱり作ればよかった。何でも準備していて後悔する方が少ないしね。

でもロキソニで歌えなくてもどかしかった分、サビを全部歌えるようにしてきたので、一緒に歌えて楽しかった。 

 

Nothing But Thieves

さあ、これで遂にアルバムツアーの見納め。

始まりは再びWelcome to the DCCだった。

ここまでのツアーではOh No :: He Said What?で始まる時と2パターンあって、そっちの方がセトリがめちゃくちゃに違っていたから、正直その方が安心できたと思った。

 

だって、2曲、3曲と進むごとに、胸騒ぎがする。

全て一昨日と同じセトリだった

どれも大好きだし、楽しいけれど。

ふと、このままサラッと全て同じで終わったらどうしようと思った。

私は彼らに、1曲だけ私の好きな曲に変えてもらうことなんかを、期待してしまっていいのか。

 

私は人に期待することも、相手を試すようなことをすることも、死ぬほど苦手だ。相手が大好きな人なら尚更。相手が従う義務などなくても、どうしても自分勝手に傷ついてしまうのが分かっているから。

でもほら、どんなに好きなアーティストのSee you soonも信じてないしね。だからどんな結果でも大丈夫、気にしない、と自分に言い聞かせた。

 

それでもJoeが、彼が、私がその曲を楽しみにしている事をもう知っている。それだけはきっと、紛れもない事実だった。その事実が恐ろしかった。

 

ワルシャワの会場はアリーナで、ヴィリニュスの2倍以上の広さがある。

今日の彼はもっと遠くにいる。

私はあの時、ステージ上で狂ったようにギターを掻き鳴らしていたアーティストの彼と、本当に意思の疎通をしたのか。なんだか怖くて、段々彼の方を見れなくなってきた。

 

従兄弟の二人、DomとPhil

 

やはり、正直もはや、その曲を聴けないシナリオが来ることよりも、そうなると彼らへネガティブな感情を抱くことが絶対に避けられないことの方が怖かった。

そんなもの、一欠けらも手に入れちゃたまらないので。

 

2ndアルバム1曲目のI Was Just a Kid

疾走感ある始まりが大好きな曲だった。

 

Gave my life a meaning

 

そうだよConor、君だよ。2公演とも歌いながら彼へと手を伸ばした。

昨夏にはParticlesI'm Not Made by Designも演奏していたし、嬉しくはあるけども、彼らが何を考えてセトリを組んでいるのかさっぱりわからなくて、気が気ではない。

USツアーで復活していたSodaを聴けなかったことはとても悲しかった。この曲も喉から手が出るほど聴きたかった。私の曲なのに。

 

Unperson

この曲の後半の彼の歌唱力に、脳天を撃ち抜かれる。

サマソニの大阪でだけ演奏していたけれど、予想通り、暑すぎて完全に本領を発揮できていなかったな。これが彼の実力だ。生で耳にできて嬉しい。

それからいつもアンコールのAmsterdamでしか前に出てこないPhilが、突如こちらに姿を現して、ゴリゴリにベースを掻き鳴らしていたのは、不意打ちで全身が痺れた。

 

Free If We Want Itは、何の前触れもなく唐突に、イントロのアレンジが流れて始まった。

アレンジだろうが何だろうが、初めの一音で全てを理解した。

大好きだった、ふわふわとした多幸感のあるサウンド

そして歌詞の始めから、Conorの歌声という優しい霧に、全身を包まれた。

 

ああ、馬鹿だな。全て杞憂だった。

そんなの、当たり前だったじゃないか

あの時のJoeの、私に向けられた笑顔は本物だった。

彼は当然のように、私の事を理解して、この曲を追加してくれたのだった。

 

We can be free if we want it
Or we can stay in this lane all alone

Just say the word and I'm on it
The past is receding so we can move on

 

それはとても幸せな時間で、永遠のように思えた。

2025年に、5年越しにこの曲をライブで聴けるなんて、過去の自分は想像していただろうか。嬉しい。遂に夢が叶ったよ

Conorの歌声は狂気や激情、悲哀や残酷さと、実に様々な色を持つけれど、この時の彼の歌声は、その中の一番優しい部分を掬い取って煮詰めた音がした。

 

Don't look back, keep going

 

後半のDomとJoe2人の、Conorに重なるコーラスが大好き。3人がマイクに向かって揃って歌う姿もずっと見たかった。彼らがその言葉を、私に繰り返し語りかけてくる気がした。

 

始まりにトルコ人の彼女が”You made it!”、“Your song!”と言ってくれて、曲の途中から私の手をぎゅっと握ってくれた。

ライブの後には、私の隣の隣にいた人が、“I knew this song meant so much to you, so I filmed you”と言って、私がこの曲を聴いて泣いている動画を送ってくれた。

想像通り顔面が酷かったけど、気持ちが嬉しかった。

本当にここに来てよかったと心から思った。

 

これで私は、Free If We Want Itをライブで聴いたことのない人間から、Free If We Want Itをライブで聴いたことのある人間になった。

私の人生のパズルの1ピースが、ぴったりと収まった。

はは、無敵だ

 

曲の終わりにサインを掲げながら叫んで、ようやくバリケードの前に貼り付けた。

ライトが暗くて分からなかったけど、Joeが微笑んでいてくれたことを祈りながら。

 

最終的に、彼らのこの日のセットリストは、私がお願いしたFree If We Want It、そのたった1曲だけが変更されていた。

セトリを決めた時に、彼らはthe Japanese girlの話でもしただろうか、と想像してみる。特にConorには二度も手紙に書いたので。

 

彼らはこのツアーを終えたら今年はがっつり活動を休止するので、寂しくならないように、お馴染みのAmsterdamOvercomeも動画を撮った。

Joeのギターソロが、今までにも増して温かく聞こえた。

 

こうして最高の体験となった、私がヨーロッパで見る彼らの最後のライブは終わった。

 

夢うつつのまま、ステージを後にするメンバーを見送らんとしていたら。

Joeがその場で屈んで、自身の足元のセットリストを剥がして、ステージ前の機材の上を歩いてきて、眩しい笑顔で他でもない私を見て、それを差し出してくれた。

 

ねえ。

どうしたらいい。

 

彼らに対しては、会って話したことも、手紙を書いたことも、プレゼントを渡したことも、旗を用意したことも、彼らに近づけば近づくほどに、全ては一方的で、所詮はただの私のエゴなのではないかという、薄っすらとした自己嫌悪のようなものが膨らんでいって、苦しんでいた。

サインや写真を求めたことすら、強引で迷惑ではなかったかと怖かった。

私の記憶が正しい限り、セトリをファンに渡したり投げたりするのはConorだけで、彼が自分で自分のセットリストを剥がして誰かに渡すのは見たことがなかった。彼はいつだって颯爽と立ち去っていくから。

いつから?このショーの初めから、私に渡すことを決めていたの???

 

なんだこれ。

こんなもの、どこにも自己否定が入る余地が無い、完全無欠の愛じゃないか。ただの幸せでしかないじゃないか。

 

(念のため書くけれど、破れているのは、彼と私の手の間には距離があって届かなかったから、近くの人の手と手を伝っていった過程で、初めからあった亀裂からサーッと裂けてしまっただけで、誰とも奪い合ってない。みんな彼が私に渡そうとしていたのを分かっていたから)

 

私は自己嫌悪が無いと生きていけなかったはずなのになあ。

こんなに胸いっぱいに満ちてくる温かさを、彼ら自身から貰ってしまった。どうしよう。

 

彼のその行動に私は救われた気がした。

私は彼らのファンでいてよかったのか。

今更ながらそんな情けないことを思った。

 

At least it was real

これでもう不安は消えた。

 

私の愛は、本当の愛として伝わっていたことを祈りたい。

だって彼らからも愛を貰えたのだから。

 

おわり

トルコ人の彼女とは、会場でハグして別れた。

またいつか会える時が来るのか分からなくて切なかった。

 

私は翌朝の6:50にワルシャワを発って日本に戻るので、深夜にUberを呼んだ。

オージーの彼女とはホテルでさよならだった。

また彼らがオーストラリアでツアーをする時は来なね、と言われた。

もちろんだ。ヨーロッパまで来た今、オーストラリアはもはや近所のコンビニ程度の距離にしか思えない。

 

セットリストを片時も放したくなくて、機内持ち込みのバッグに入れ、購入したポスターと共に、飛行機で足元に置いていた。

私が最前列を取れたこと。彼が私を見て、私を思い出してくれたこと。私が2日目でもちゃんと最前列を取れたこと。それに彼が気付いていてくれていたこと。

どれか一つでも欠かしていたら、この出来事は起こらなかった。

 

今振り返れば、ステージ上の大好きなアーティストと、ライブの真っ只中に、個人的にサインとアイコンタクトで会話したの、面白すぎるな。

誰も気付いていなかったと思う。

彼のあの、私を認識した時の驚いたあとの笑い顔と、セトリを手に私に向けた笑顔、その2つを一生忘れたくないから、脳内で何度も何度も反芻する。

またいつか彼らに会えた時に、このセットリストにサインを貰おう。この時のことを思い出話にして。

その時まで、私は生きなければならない。

 

7月にイギリスで行われるフェスを見に行く。

活動休止前に、ヘッドライナーとして花を飾る彼らを見送る。

楽しみにしている。