2月の怒涛のライブ日程が全て終わった。
今年のまとめを書く頃には全て脳裏からすっぽ抜けているだろうと思ったので書き出していたら、それなりの文字数になってしまったので、もう投稿してしまう。
とはいえ、ライブレポと銘打ちながらいつも大したレポートになってない。今回も始まるまでが長いので読まなくていいです。
というか、毎度痛感するけれど、結局のところ私には、目の前で鳴り響いている最高の音楽を言葉で表現する能力はない。
Linkin Parkは高校時代によく聴いていた。
CDは全部TSUTAYAでレンタルした。ウォークマンにMP4形式で保存したMVを入れて、休み時間に繰り返し見ていた。
油のにおいの充満する美術部の部室に籠ってスピーカーで彼らの音楽を流しながら、60号のキャンバスと格闘し、完成した身体が透明な少女の絵にNumbとタイトルを付けた。
その時点でいかに自分が根暗な高校生活を送っていたかがわかるな。
でも彼らの音楽は、まさにfeeling out of placeな私に居場所をくれた音楽だった。
Chesterが亡くなったのを知ったのは7月のある日、日本時間の朝の4時頃だった。
その頃の私は昼夜逆転した生活を送っていたから、多分日本のファンの中で早くにニュースを知ったと思う。
英語のニュースを目にした後も、TwitterのTLはいつまでも静かだった。これから起きてくる大勢の人達にこの真っ黒な塊を引き渡すのがとても恐ろしかった。
彼らの音楽は私にこんなにも救いをくれたのに、そんな彼自身が救われなかったなんて、これより悲しいことが、この世界にあるか。
この心に空いた永遠に埋まることのない穴と、どう向き合えば良かったんだろう。
当時の私は文章を書いた。
ちゃんとした文章を書くこと自体初めてだったから、今思えば稚拙も甚だしいので、もう怖くて読み返せないけど。
大好きなアーティスト達には私はただこれだけを祈る。幸せでいてほしい、と。
そんなLinkin Parkが、昨年秋から活動を再開させることになった。
日本時間の朝の7時頃に、全世界に向けたライブストリーミングがあった。
新しいボーカルEmilyが登場して、私は新しい時代の幕開けを目撃した。
何一つ上手く言葉に出来ないけれど、これで彼は、きっと少しは、少しだけは、救われたのではないか。そう思って泣いた。
彼らの来日公演が発表された時には、既にNothing But ThievesのEUツアーの予定を組んでいたから、慌てた。
でも2日目は12日。ポーランドから帰国する日だった。
行ける、ライブは夜だから行ける。アーティストだってタイトなスケジュールで時差ぼけと闘いながらステージに立っているんだから、私だって行ける。なぜアーティストと対等の思考になってんだか分からないけども。
朝の6:30に羽田に着くから、本当は厚かましくも出社までして仕事終わりにさいたまアリーナまで行こうとしていた。
けれど帰国までの乗り継ぎ途中のオーストリアの空港で、開演時間が19:00ではなく18:00だったことに気づいて唖然とした。何を勝手に勘違いしていたんだか。普通に仕事終わりじゃ間に会わないじゃん。直前で気づいて良かったけど。
私には情報を読み取る能力が著しく欠けていると思う。
大学入試の前夜、受験票を鞄に入れたか確認した時に、試験会場が自分が行く気満々だったキャンパスじゃなかったことに気づいた出来事を思い出した。あのまま別のキャンパスに行っていたらあの大学には入れなかった。
ライブの半分見られないとかアホらしいので結局会社は休んだ。
ただその結果時間に余裕が生まれたので、一度帰宅して仮眠をし、フォロワーさん達と再会してお茶することが出来たので結果オーライです。
7月のフェスを残してあと有休が3日しかないのが笑えるけども。爪に火を点すような生活というのがどんな感じだか知りたくなかった。
大好きなアーティストは、聴き続けるとそのうち自分と一体化して、聴く必要が無くなってしまうとどこかで読んだ。(その点某バンドは7年経っても未だに毎日聴いているのが恐ろしいのだけど)
彼らの楽曲もその言説に当てはまって、もう7年以上聴いていなかった。
でもライブ前に聴き返すことは一切しなかった。それだけは徹底させた。
なぜなら彼女の声に合わせてキーが結構変わっているという話を耳にしたので。
私は変調は気にしようとしなくても気になってしまう耳を持つので、余計な雑音をライブに入れたくないと思った。純粋にEmilyのLinkin Parkを楽しみたかった。
さいたまスーパーアリーナでライブを見るのは初めてだったな。

新しいLinkin Parkを歓迎し、ライブを見るのを楽しみに来ている人がこんなに沢山いると思うと、それだけで嬉しかった。
日本の為に桜のデザインにしてくれたらしいシンボルマーク。

チケットが高かったのと、疲れているだろうから揉まれたくなくてスタンド席を選んだ。
ほぼ斜め後ろな感じ。正直まだ日本に戻っている実感が無くて、地に足がついていなかったから、観るライブに徹していたことは否めない。
そういえば、私の周りの人は私より年齢層の高い男性ばかりだったなあ。
Somewhere I Belongでライブは始まった。
(縦型動画だと見にくいけど、右下の□ぽいの押すと拡大出来て、×ですぐに元にも戻せるのでおすすめです)
彼らの数多い孤独を歌った歌の一つ。
Chesterの姿が脳裏に再現されるくらいにはMVを繰り返し見ていたことを思い出した。
この後にライブが4つ控えているので、余韻がですね、大渋滞してそれはもう大変なことになると、感情が追いつかないまま記憶から消えてしまうと、そう思ったので、もう割り切って、好きな曲は全て動画に収めることにした。
でもスタンド席というのもあって、スマホの画面越しでなくライブを楽しめて良かった。

もうさあ、Mikeが楽しそうにしているだけで、それでいいよ。
彼がこの決断をしてその身に背負ったものはどれほど大きかっただろう。

私はMikeとChesterのLinkin Parkのライブを見たことは無かったから、それが理由かは分からないけれど、彼とEmilyが横に並んでマイクに向かって叫んでいる姿を見て、私はただ、ああ、これはLinkin Parkだ、Linkin Parkが私の元に戻ってきたんだ、と思った。
けれどもRobの脱退の話を聞いた時は、何年か前にこのブログのコメントで紹介してもらって見た映画、マンチェスター・バイ・ザ・シーを思い出した。
最後まで綺麗じゃなかった物語。
現実の方が、よほど綺麗な物語じゃない。乗り越えることだけが賞賛される正解ではないだろうと思う。彼が彼自身の救いを見つけられたことを祈る。
Joeはほぼ見えない位置にいたけれど、時折スクリーンに映る彼の姿が昔と何一つ変わっていなくて、楽しそうにターンテーブルを操っていてよかった。
彼の胸中なんて語れるはずがないけれど、なんというか、昔からバンドに安心感を与えるような存在だなと思っていたから、彼がMikeと共にいてくれることを選んだことが素直に嬉しい。
Phoenixもとても楽しそうで、時折優しそうな笑みを浮かべているように見えた。
Waiting for the End
温かくて優しい歌声に包まれるこの曲が大好きだった。
この曲の入ったアルバムA Thousand Sunsが、私は彼らの作品の中で一番好きだった。
スクリーンに映し出された映像も繰り返し見ていたMVを想起させて、ひたすらこの曲の中に落下していくような没入感を感じた。
自分の存在が薄れて、彼らの音楽を繰り返し聴いていたあの頃の空間へと、身体が遡っていく感じがした。
Emilyのシャウトは、それはもう大勢の人が称賛してるように凄まじい破壊力を持っていたけれど、それと同じくらい、クリーンなボイスには、Chesterの歌声が持っていた優しさが感じられた。
Numb
イントロからぶわっと歓喜の声が上がる。
この瞬間を待ち望んでいた人がどれだけいただろう。
I'm tired of being what you want me to be
あまりネガティブなことは書きたくなかったけど、Chesterが亡くなって、私達は、彼らの中で一番人気のこの曲の、この歌詞の持つメッセージを、結局全く理解していなかったじゃないか、と皮肉に思った。
彼が生前口にしていた苦悩の言葉に重なっているから。
私は未だに心のどこかで、彼は私達が殺したんじゃないかと思っている。
だからこの曲は、私の中でより一層空虚で、それでいて胸を締め付ける曲になっていた。
でもそうか、この曲はこんなに大勢の人達と、一つになって歌える曲だったんだね…
I'm becoming this all I want to do
Is be more like me and be less like you
私達は同じ過ちを犯さずにいられるんだろうか。
Emilyの、彼女の歌声がLinkin Parkになったように、彼らがこの先どのような音楽性を追求しても、全てが彼らであると、ちゃんと気付くことが出来るんだろうか。
この曲はいつかまた、私を救ってくれる曲になるんだろうか。
そこからIn the End、Faintと、惜しみなく披露される名曲続きの贅沢さに溺れた。
昔の曲が悪目立ちすることもなく、新譜の曲が浮くこともなく、初めから終わりまでLinkin Parkのショーを楽しめたから、やっぱり聴き返さずにライブに挑んだ判断は間違っていなかった。
Heavy Is the Crown
この曲の威力もすごいよな。
Chesterの代役が務まる務まらない?うるせえよ!私は私だよ!って叫んでいる感じがする。
Chesterが唯一無二の存在だったのと同じように、Emilyもまた唯一無二なのだから。
約2時間のショーは充足感と共に終わった。
2025年に、私は遂にLinkin Parkのライブを見た。
ライブのあった数日間、TwitterはLinkin Parkのワードで、ポジティブな投稿が溢れかえっていて、とても嬉しかった。
そんなの、何年ぶりだろう。こんなことが再び起こるなんて、想像していなかったな。
彼らのこの先の進む道に、幸多からんことを。そう祈らずにいられない。