ここ数か月は沈んでない。かといってハッピーでもないけど。
海面にぷかぷか浮いて、ただ波に身を任せている状態。
ちなみに普通の人はその「鬱の海」がまず無い。陸。陸に立ってる。
4月6日のメモ
香水を購入した
金の無駄だから死ななきゃって病院行く度に自分責めてた数年前から 香水買いたくなるくらいまでメンタルが回復した〜
けどていねいなくらし系の人が素敵な一人暮らしの部屋の写真あげてるの見て絶対あんな風に自分がなれることはないと思ってしまう
私物を一つ増やすことすら希死念慮と反対のベクトルだから大変だ〜
常に自分がいなくなった後に遺された物の処理について想像してしまう
夜中に眠剤ぶち込んだテンションでインスタのストーリーに上げようとしたやつ。
踏みとどまって偉かったね。
鬱の人がみんなそうかは知らないけれど、
私の鬱みが酷いときは、物を買うことができなくなる。
「これを買って何の意味があるんだ?」
という、それこそ意味不明な思考回路に陥るから。
数年間チョコくらいしか買えなかった。一瞬の欲求を満たして消えてくれる存在。
レコードプレーヤーはまだ買えてない。
そういえばこの前TOEICを受けた。
840点だった。
目標の860点には届かなかったけど、そこそこの点数は取れた。
点数。点数っていいよね。絶対的な価値。自分の価値を証明してくれる感じがする。
昔からテストの点と偏差値が唯一の自己肯定感だった。
虚しいね。
それから今年になって、ある経験をした。
前にここに書いたけど、私には多分まともな思春期がなかったと思う。
中学時代、周りが話していることと父がしていることの区別が自分でつかなくて、ただただ全てが怖かった。高校時代に付き合ってた相手は結局行為をしたくなくて振った。
別に好きな相手でもなかった。でもどうでもよかった。
ずっとトラウマから抜け出せてない気にさせられていたから。それが抜け出せた証拠になった気がした。
きっともう解放されたはず。
ひとつ、黒い塊を「どうでもいいフォルダ」にぶち込むことが出来た。
もうどうでもいい。
そう、「どうでもいいはずのことをどうでもいいと思えるようになる」のが目標。
NBTのコナー君が愛読してる本の著者、Eckhart Tolleも同じようなことを言ってた。
"Allow this moment to be as it is"
ただ海の波に身を任せて、ぷかぷか浮かんでる。でも水が干上がる気配は無いし、自分で泳いで岸に向かう気力もまだない。