誰か解放してくれ 私という人間から
精神の自立
気まぐれに過去の記事を遡って読んでたら、
Twitterはリアルで繋がる人が増えすぎて、
仕方なく代わりに毎日ネガティブを吐き出してる他人のアカウントをフォロ
何のためのSNSだ。元々私は別に周りの人間を真似て、わずかなキラキラを搾り取って見せるためにやってたわけじゃない
自分がない。
鬱になると優柔不断に拍車がかかる。
人生は選択肢の連続だから、
例えば、お昼ご飯に何を食べるとか。
大学時代、お昼ご飯が買えなかった。食べたい物が思い浮かばない。
散々休憩時間を無駄にして、結局何も買えないことが多かった。
ファミコロだけが好きだった。安くて、美味しくて、罪悪感がないから。
「自分の好きな服装が分からない。母親が喜ぶ服装は分かるのに」
あーなんか分かるなと思った。
私も未だに呪縛に引っかかってる。自分が買った服も、
本当は自分が気に入ればそれだけでいいはずなのに。
自分の事を自分で決められない。全てが無駄に思える。 価値がないように思える。
他人の評価や承認の中にしか自分を見出せないから、他人の存在に依存しているから、他人がいなくなると自分もいなくなる。
自分の為に生きられない。一人で生きられない。
でも先日パンドラハーツを読んで、ちょっと安心した。「これが好き」
以前ナマズのライブレポで自分が書いた言葉を思い出した。
「好く(love)」というのは、めちゃくちゃ能動的で、自分が自分の為だけに使う動詞。
多分自分の好きなものを見つけることは精神のリハビリになると思う。
好きなものを見つけなきゃ。
自分を作らなくちゃ。
今年は精神の自立を目標にしたい。
作品を作らなくなった
作品を作らなくなってから半年経った。
16年くらい前から作り始めて、当初はただただ楽しかったことが、クオリティを求めるようになるにつれてストレスを感じるようになって、遂に作るのを辞めてしまった。
行き過ぎた完璧主義が災いして、完璧じゃない自分が作品を作る意味が分からなくなって辞めた。
作らなくなったメリット
・自由な時間が増えた
・自分の技術力やセンスのなさにイライラすることがなくなった
・自分をがっかりさせる恐怖がなくなった
・就寝時間を気にしながら作品を作るストレスがなくなった
デメリット
・スマホをいじる時間が増えて、他の人が載せてる作品を見て「自分はもう、そちら側の人間じゃないんだな…」と切なくなる
・アーティストの存在を妄信している節があって、曲がりなりにも自分もその中の一部であることを自己肯定感にしていたから、それを失った
・人が作った作品を消費して批判するだけの人を下に見ていたのに、自分もそうするだけの人間になっていくことに愕然とする
ストレスが減ったけど、代わりに虚無感が増えた。
昔から自己肯定感がびっくりするほどなくて、小学校高学年の頃にはもう、「自分は周りの子達より価値のない人間だ」とポジティブに結論付けていた。
だからまず、まともになる為に勉強を頑張って、加えて作品作りというアイデンティティをもってして、足りない価値を埋めようと思った。マイナスからのスタートだった。
母親は私が作品を作っていることが好きだったようで、兄の真似をしてゲームをすると露骨に不機嫌になった。「あなたにはちゃんとした趣味があるのに」と言われた。
でもまず勉強が出来なければ何の意味もなかった。
成績が悪かった時、作品を「こんなもの簡単に壊せるんだからな」と言われた。その一言は、自分の中でずっと考えてきたことの答え合わせだった。
まともになりたかったから美大を諦めてまともな大学に入った。偏差値という価値を手放すことが怖かったから。
でも結局出来損ないだった。まともな仕事に就けなかった。まともになる為の、勉強という、偏差値という1番の核だった価値を失って、その代わりになりうる職歴を手に入れられなかった。
だからその分更に作品作りを頑張らなければと思って、せめて少しでも自分の価値を埋めなければという焦りで、この数年間ずっと作品を作っていた。苦しかった。
そして正社員になった今、「まとも」に近づけた今、もう作る必要がなくなったのかもしれない。
解放されたのかも。
もう、疲れた。
脳内のごちゃごちゃを書き出しただけでもう1000字。
こういう文章は自分の脳内を整理するためだけに書いてる。そして吐き出すとそれだけ脳のキャパシティが開いてくれる気がして。
価値とか意味とかを気にしだしたところから、人間の精神は崩れていくんだと思う。
気付くのが遅すぎた。
漫画家を敬いまくりたい
ここ一年程、昔連載時に数年追っていたけれど、その後離れていた間に完結した漫画を、大人買いして読んでる。
まさに大人の醍醐味なのかねー。まあメルカリの中古だけど。そして例の如く物を持つことが苦手だから、読了したら即売ってる。
そんなことを言いつつも、私は漫画家って、アーティスト(作品を産み出す全ての人を定義)の中でもトップレベルに凄い職業だと思っていて、莫大な尊敬の念を抱いている。
というのはまあ、仕事内容のイメージがつくからというのも大きいんだけど。
まず凄いと思うのが、自由に動かした人体をどの角度からも描けるということ。
当然だけど。その時点でどれだけの努力が必要か。
そして臨場感のある構図を、抒情的な画を常に考えられるということ。
お気に入りの漫画家の鎌谷悠希先生(隠の王とかの作者)は場面の作り方が独特で、印象的なものが多くて大好きだった。
(しまなみ誰そ彼 2巻)
ただただ登場人物が動いて会話してるだけが漫画じゃないんだなあ、全てがアートなんだなあと感動する。
1ページ1ページがもう確立されたアート作品なのに、それが束になったものが何でこんなに安く手に入ってしまうんだろう。
コピー技術って、アートの価値を下げた恐ろしい技術だよなって思う。
私みたいに、コピーのきかないオンリーワンの作品を売ってる人間からしたら戦慄する。
まあそのおかげで大勢の人の手に届くからプラマイゼロなのかもしれないけど。
連載期間が10年を軽く越えたりすることも、凄すぎると思っていて。
だって、こんなに時間をかけて作られる作品ってなかなかないと思う。
しかも作ったそばから人前に公開されていって、尚且つそれを自分で全肯定し続けなきゃいけないんだよ?10年前のアイディアを、10年前の自分を。
私には無理。過去の自分なんて、恥でしかない。粗しか目につかなくなるし、モチベーションがどんどん下がる。そして第一に飽きる。10年前に自分が好きだったものをそのまま好きでい続けている自信が全くない。
最初の方を修正、なんてもう不可能だし。あの設定辞めとけばよかったとか、もっと伏線張っとけばよかったとか、ならないのかな。
あとこれは漫画家だけに限らないけど、アーティストって定時とか存在しないから、恐ろしい職業だと思う。そして年中無休。超絶ブラック。
どんなに筆を休めてても脳は無限にアイディアを放出し続けてるし、目に見えるもの全てがヒントになってしまうから、作品から精神的に逃れられない。実質、寝ている時間以外に休みが存在しない。
よくみんな気が狂わないなと思うよ。
この土日はパンドラハーツを読んだ。
この漫画は中学〜高校時代に追いかけてた。でもお金がなくて漫画は殆ど人から借りて読んでたから(クズ)、借りた人と疎遠になるにつれてその作品から離れた。
確認したら2015年にもう完結してたんだね。7年前とか… 何してたんだよ。まあ私の腰の重さはそれくらいだということ。
名前だけ知ってて何年もチェックしてなかったバンドもあるしね… Nから始まる一番好きなバンドなんだけど。
パンドラは画風とコンセプトが完全にストライクだった。
登場人物の服装とかもセンスがいいし、ここまで密度のあるデザインでずっと描き続けられるのが凄い。
そして不思議の国のアリスやマザーグースとかからめちゃくちゃインスパイアを受けていて、登場人物の名前や服装や、各話のタイトルなんかも工夫されてた。
私はオマージュがある作品が最高に好き。完全なオリジナルよりも好き。造詣の深さが伺えるからだと思う。
頭のいい人が好き。歴史や芸術や伝統、何でも既存のものを新しいものに昇華できる人が好き。
ハガレンとかゴールデンカムイとかも最高に好きだなあ。フィクションだけど舞台設定に統一性があって凄くリアル。気持ちがいい。作品の背景に膨大な量の資料が見える。
NARUTOはいつまでも乗り物が出現しないのにテレビゲームやカップヌードルがあったりして苦手だった。銀魂はもうやりたい放題だけど。
本当は通勤中の電車の中で読み進めようと思っていたのに、続きが気になって土日で全巻読んでしまった。
でも普段、映画や本、漫画を読むのを「しんどい」と思うことが多かったから、「もっと読みたい!」というプラスの感情が新鮮で嬉しくて、素直にその感情を優先させた。
嵐のように24冊を一気に読み終えてから、思った。今まで出会った漫画の中で一番濃密な作品だったんじゃないか?
多分私、この漫画が一番好きだ。
とにかく伏線の数がすさまじくて、すごく入り組んだ物語だった。
1巻から大量に張り巡らされた伏線を、後半にかけて全部綺麗に回収してるの。最後の巻になって、3巻の会話がキーになって出てきたりもして。
伏線があまりにも多すぎて、これどこの情報だったっけ?って、何度も遡ってめちゃくちゃ探した。
作者の望月淳先生は、この壮大なシナリオを、連載の9年間ずっと脳内に保持し続けてたのか。いや全部メモはしてるだろうけど。それでも恐ろしい。
1巻の一番最初に出てきた言葉で、24巻の、物語の最後を締めくくっていたところまで、とてもとても綺麗だった。
物語を根本から覆すような壮大などんでん返しも、多分この作品で初めて経験した。
今まで読んだ漫画はほとんど、紆余曲折はありつつも、初めから一貫したゴールに向かっていくストーリーだったから。よくここまで読者を騙せたなと思う。
例えるなら鬼滅の刃の鬼殺隊が実は鬼だった、レベルの感じ。
登場人物の心情の変化とかも物凄く鮮明で、この人はたった1回の人生でどうしてこんなに沢山の感情を表現できるんだろうと思った。
みんな、どこか自分を肯定してくれるものを見つけられなくて寂しそうな人達だった。切なかった。でもみんな救われててよかった。
そして最初から好きだったギルバートが最後まで最高な人物を貫いていてよかったよ……
読んだ後にこれだけ胸を締め付けられる作品を作れるって凄いな。
最近映画とか見ても、「見た。見たけど…何だったんだろ…疲れた…」みたいなのが多かったから、余計に感動した。久々の感覚だった。
まだ作品から離れたくなくて、何度も読み返してる。漫画を持ち歩いたりアニメのサントラを聴いたりしてる。
アニメ化は途中で挫折したみたいだった。違う媒体で物語を再体験したかったから、ちょっと残念。
でも放送時に少し見てたけど、作画がそんなに好きじゃなかったからいいかな… 漫画の繊細で綺麗な画風を活かせてない気がして。
でも一度アニメ化したことによって、作中で重要な役を担うオルゴールの音を作ってくれたから、読者的にとてもおいしい。
サントラのクオリティが高すぎて、使いこなせなかったの勿体ない… 先生自身も聴きながら漫画を描いてたらしい。
先生的には今連載してる作品の方が成功してるのかな?アニメ2期目到達したぽいし。
新しい家を見つけて、物を持つことを肯定できるようになったら全巻新品で買い直そ~〜
普段ネガティブな思考でいっぱいの人間だけど、素晴らしいアートに触れるとポジティブな感情がどばどば溢れてくるから、その感情を1つ1つ大切にしようと思って、ライブレポとかもそんな理由で書いてる。
自分にとってアートは救いなんだろうな。
【ライブレポ】じゅじゅ / ONE BY ONE
ライブに行ったらいつもレポートを書いていたけれど、昨年行ったライブのレポを1件書いてなかった。
それはアイドルのライブで、一応書こうとしたけれど、なんか頓挫してしまった。今まで洋楽のライブのレポしか書いてこなかったから、アイドル達を何て呼べばいいのか、呼び捨てでいいのか、さん付けするべきか、ちゃん、くんにするべきか、分からなかったから。本当にそんなしょーもない理由。
何故今更書こうと思ったのかというと、その時見たアイドルが2グループとも活動停止になったから。やっぱり記録に残しておこうと思って。
そもそもこのライブに行ったきっかけは、1人のアイドルとの出会いだった。
彼女を知ったのは、バズっててTLに現れたこの呟きだった。
中学受験も大学受験も失敗したので、就活は絶対に成功させる、絶対に一流企業に就職するぞ!と学部内トップで厳しいゼミに入りゼミ長として3年間励み無事に内定を貰い新卒で就職した結果、鬱病になり退職し地下アイドルになっているので人生何があるか分かりませんよ、みなさん
— chun (@_chunpi) September 22, 2017
なんか、まるで私のようだったから。
俄かに彼女への興味が湧いた。
もっとも私は就活を成功させる事もできなかった。面接ですぐに泣いていたから。自分の良いところを一つも言えなかったから。
ちゃんとした大学に行けたことだけを自己肯定感にしていた私はそこで、結局自分の中身は空っぽなんだと悟った。
彼女は推定で私と同い年だと思う。
そのツイートを見た当時はアイドルには全く興味がなかったけど、それがきっかけで彼女をフォローした。ブログも読んだ。
自分の名前も適当で、メンバーカラーも残りの色を貰っただけと、平然とそう話す彼女は、とにかくぶっ飛んでいて、私の中のアイドルの固定観念をぶっ壊した。
寝て起きたら全てがハッピーな感じになっているか、もしくはじぶんの存在が綺麗さっぱり消えていますように
— chun (@_chunpi) December 2, 2019
私の中のアイドル観といえば、可愛くて、それから自分が可愛いことを熟知していて、ひたすらポジティブで自己アピールの上手な子というようなイメージがあった。自分とは対極の人生を送っているという思い込みがあった。
こんなに共感できる、近くに感じられるアイドルに出会えると思わなかった。
親孝行のためだけに雑誌の表紙になりたかったと言っていた。
TOKYO IDOL QUEENになった話https://t.co/wQjhMUAuTr pic.twitter.com/CknnB1lJJs
— chun (@_chunpi) April 11, 2018
その気持ちが嫌という程分かって思わず泣いてしまった。
私も昔から両親にとって「いい子」でいることを自分の存在意義にしていた。いい子でいる為にいい高校へ行って、いい大学に入った。
いい大学に入ること自体がゴールじゃないんだよね、その先にいつも親からの承認があって、それが絶対的だった。それがないと生きていてはいけない気がした。
働けなくなった時、自然と、何の疑いもなく、「自分が死ぬことが1番の親孝行だ」と思えて、初めて自殺未遂をした。
彼女のツイキャスも聴くようになった。
彼女が泣きながら話しているキャスもあった。
フォロワーが増えたからネガティヴなこと呟くのを辞めようとしたら、何も呟くことがなくなってしまった。でもファンは自分の幸せを願ってくれてるのに死にたいなんて言えない。でも本当は今でも死にたいと思ってるのにここでしか言えない。ボロボロ泣きながらそう言ってた。
私もTwitterで死にたいと呟いてリア友にブロックされてから、もう怖くて呟かなくなった。
色々わかりすぎて画面を乗り越えてハグしたかった。
実は私がこのブログで自分の感情を吐露するようになったのは、まさに彼女のブログがきっかけだった。
3〜4年前から随分と死にたがっているのに、ゲーム実況の更新通知で生かされたり、油そばが美味しくて生かされたり、野良猫がかわいくて生かされたりしている そんなもんです 白黒はっきりつけたいのですけれど きっと永遠に灰色のままで みっともない
— chun (@_chunpi) September 10, 2019
私の人生もいつまでも灰色のまま。
コロナで海外アーティストが全然来日しなくなって、国内のアーティストにも目が行くようになったのとか、色々ときっかけが重なって、遂に彼女のグループのライブに足を運んでみたくなった。
普段沢山のアイドルが出演するフェスとかの情報を見ても、敷居が高そうで行きたいと思えなかったけど、彼女の在籍するグループじゅじゅと、ちょうどその時気になっていたグループONE BY ONEの初の対バンがあると知って、これは行かなくてはと思った。
行ったのは9月15日。
転職活動の最中で、その日も面接があったから、ワンピースを一枚鞄にねじ込んで行って、終わってから駅のトイレで速攻で着替えた。
ライブハウスの入り口でワンバイのメンバーに偶然会って、びっくりして思わず歓声をあげてしまった。どう反応するのが普通なのか分からなくてオーバーにファンガールしてしまった。普段、洋楽アーティストの追っかけしかした事がなかったから。
いつも彼らとは一緒に写真を撮ってもらっていたけど、彼女たちはチェキで収益を得ているから、まあそういうことだろうなと思って何も言わなかった。
ライブハウスには可愛い女の子がいっぱいいて、ダッサい鞄とパンプスとメイクの私はめちゃくちゃ場違いな気がした。
もらったサイリウムの付け方がわからなくて、隣の人につけてもらった。
じゅじゅのライブは、ただのメタルバンドのライブだった。いい意味で。それくらい楽曲のクオリティが高かった。
ヘヴィーでダークでとてもかっこよかった。
なんだか勿体ないなーと思った。彼女達と、あの世界中で人気になっているBaby Metalとの違いが、私には全然わからなかったから。Baby Metalは歌詞が稚拙であまり好きになれなかったから、じゅじゅの方がよっぽどいいと思った。
それからあんなにフォロワーが沢山いる彼女をこんなに近くで見れてしまって良いのだろうかと狼狽した。それくらい、このグループはもっと知名度があってもいいはずなのにと思った。
ちゅんさんはとても歌がうまかった。
こんなに重い(と思う)衣装を纏って踊りながら歌うのは大変だろうなあと思った。
せっかくだから特典会も参加した。券の買い方がわからなくて色んな人に聞いた。じゅじゅヲタたちはみんな優しかった。
チェキは私の顔が写っても別に嬉しくないから彼女だけで撮ってもらった。
初めて手に入れたアイドルのチェキ。
かわいい。
いつもツイキャス見てます!と言ったら、なんと「じゃあ明日キャスやるね!」と言われてしまった。
そう、その翌日の彼女のキャスは私の為に開催されたキャスだったのだ。そういうことにしとこう。特別な思い出になったから。自慢させてください。
ONE BY ONEも最高にかっこよかった。
ダンスがキレッキレのころねちゃん、歌が激うまのまこちゃんと樹莉ちゃん、一番キラキラでアイドルしてた紗希ちゃん。
久保ちゃんのソロもすごく良かった。
本日はN production presents
— ONE BY ONE (@ONEBYONE_Npro) September 15, 2021
「さや久保生誕祭」にお越し頂き、そしてお祝い頂きありがとうございました!#ワンバイ #じゅじゅ pic.twitter.com/wgIKLDFclw
一応私も写ってる。
私の運が悪いのか、はたまたアイドルとはそういうものなのか、見たアイドル両者とも活動停止になってしまった。目下、活動停止前にもう一度じゅじゅを見に行こうか考え中ではある。
今のところまた新しくハマれそうなアイドルはいない。いや、もう今後もないのかもしれない。
ちゅんさんももうアイドルはやらないと宣言している。
それでもいい。これからも自分の輝ける場所を見つけて輝いていてほしい。
数年間密かに見ていて(ファンを自称するのは憚れる)、この人は多分存在してるだけで誰かを沢山救ってるんだろうなあと思ったし、私もこれからも彼女の後をついていくと思う。