You are what you love not who loves you.

自分に影響を与えたかっこいい音楽を紹介したりとかしてます。

考えることをやめたいと思ってしまった

このブログに辿り着いた方、いつも見てくれている方、あるいはお世話になっているTwitterのフォロワーさんなどなど、ありがとうございます。 

 

よく「自分の依存先を増やすことは精神的に良い」と聞くけれど、私みたいな自己肯定感の無い人間は、集団の中にいると自分の価値を見出せずに苦しくなる一方なので、そう言った意味では、自分の好きな事をやって尚且つ人の為にもなれるこの翻訳ブログは一つの「依存先」として最適だったなと思う。

そこまでメジャーなアーティストは訳していないのに拘らず毎月1000人は閲覧者がいることはモチベーションにも繋がったし、実際に和訳がとても参考になりました、この曲の意味を知れてよかったです、とメッセージまで送って下さる方が何人もいて、とても嬉しかった。

私は自分が大好きな曲、心を打たれた曲や、もっと多くの人に知ってもらいたいと思う歌詞しか訳さない方針できたから、その分どの和訳にも自分の想いまでズラズラと書き綴っていて、なんか余計かな、暑苦しいかなとも思っていたけれど、そんな所にも心を打たれたと伝えてくれた人がいて、本当に嬉しかった。

 

私は高校生の半ばに洋楽と出会うまでは、自分の人生は英語には無縁だと思っていた。

洋楽を聴くようになって、Twitterを始めて感激した。憧れのミュージシャンが喋っていて、しかも彼等と交流ができるなんて。

大好きな人達が言っている事を理解したくて、毎日毎日、辞書を片手に彼らの何千件ものツイートを遡って全て翻訳した。楽しかった。こんなに楽しい勉強方法があったのかとびっくりした。

それからTwitterでは世界中の人達が英語で会話しているのを知った。英語の口語表現が無料で無限に手に入る最高のツールだと思った。

私はTwitterで英語を学んだと言っても過言では無い。

高校2年の最後の英語の試験は24点で、学年順位の下から数えて数番目とかだったけど、浪人後のセンター試験では正答率が9割を超えた。留学がカリキュラムに含まれる大学にまで合格できた。大学合格の瞬間に人生で初めての海外渡航が約束された。

 

そしてもう一つ、Instagramが普及し始めた頃は、私はなんて素晴らしいツールなんだろうと思った。だって、私の夢は「世界中の人に自分の作品を見てもらうこと」だったから。

いろんな国の人に見てもらえたらと思って、頑張って英語でキャプションを書いた。1000人2000人と次第にフォロワー数は増えていった。

 

 

話は完全に切り替わるけれど、今日は私が受けた性被害の話を書く。

 

それは私がまだ小学生だった頃の話。

自分の父親が真夜中に仕事と称して、毎晩何をしていたのかを知ってしまった。

パソコンでゲームをしていた時に自分のユーザーの調子が悪くて、親ユーザーで試してみる事にした。

それは図らずも最悪な選択だった。父がパソコンで、当時の自分と同い年くらいの女の子の、下半身や下着姿をチェックしていたことが分かったから。

まだ私は性について何一つ知らなかった頃で、恐怖しか感じなかった。「児童ポルノ」という言葉だけは知っていたから、もしかして父は犯罪を犯しているのかもしれないとも思った。

父はよく癇癪を起こして暴言を吐いたり物に当たったりする人だったから、自分が父の秘密を知っていることを本人に気づかれたら、何をされるか分からないと慄いた。正直な話、「殺されるかもしれない」とも思っていた。

パソコンはリビングに置いてあって、最悪なことにリビングの入り口のほうに画面が向いていた。そして父は毎晩、扉に背を向けて座っていた。

母親は割と早寝で、私は夜型の人間だった。

夜中にリビングに行かなければいけない用事があった時は最悪だった。

お願いだから私がリビングに行く前に気づいてパソコン画面を隠して。そう思いながら、わざわざ廊下を大きな足音を立てて歩いて、父に人が近づいているということを露骨に教えてあげた。リビングに入る時はパソコンを見ないようにそっぽを向きながら。それでも何回か画面が見えてしまったこともあった。慌てて隠す父を横目に気付かないフリをしてあげた。

それはほとんど毎晩、何年も続いた。たまに夜中に目覚めた時にリビングの電気が消えていた時は心から安堵した。またある夜目覚めた時にはリビングで両親が喧嘩をしていた。母の泣き声が聞こえた。

高校生の頃は確か、ガラケーの充電器をリビングで家族と共用していたから、いつも寝る直前にリビングに行かなければならなくて苦痛だった。

私が大学生になっても、相変わらず父は夜中にパソコンをいじっていた。変わったことといえば、父への恐怖が段々と怒りになっていったことくらい。

父と体が接触する時は虫酸が走るようになった。

 

父は浮気もしていたし、女の子から使用済み下着の購入もしていた。それも高値で。

母もきっと全てを知っていて、よく父に聞こえよがしに嫌味たっぷりに、「パパに触られちゃうから早く下着をしまいなさい」と私に言った。

母にも失望した。ああ、ずるいな。あなたは子供の私を巻き込むんだ。私は毎日必死に気づかないフリをしてあげてるのに。私はその言葉にどう反応すればいいのさ。

結局聞こえないふりをするしかなかった。それは一度や二度ではなかったから、とてもストレスだった。

母もノイローゼ気味になって、「パソコンを叩き壊してやりたい」と口にするようになり、私がパソコンでゲームをする時すら露骨に不機嫌になった。父方の祖母が送ってきたお菓子を目の前で全部踏み潰して捨てられたこともあった。

 

そして最悪なことに、この出来事は私のセクシャリティをズタズタにした。性について何一つ知らなかった時に、小学生である自分の性が消費されている事実を知ってしまったことは。

中学生になって、思春期真っ盛りの中、クラスの男子は盛んに下ネタを口にするようになった。私はそれにも「恐怖」を感じた。

でも周りの反応見ると、それは大したことではないのだと気づいた。そうなると、父のしていることも別に大したことではないのだろうか?ではなぜ私は、あれに凄まじい「恐怖」と「嫌悪」を感じたのだろうか?私がただ自意識過剰なだけなんだろうか?

当時の私の頭では答えを出すことはできなかった。

高校生になって、流石に男子の下ネタもそういうものだと流せるようになった。

そして始めて人とお付き合いをした。単純に一緒にいたいなと思った。

でも自分は異性と肉体関係を持てないことに気づいてしまった。それはおろか、男性の半裸にすら怖い、気持ち悪いと思ってしまうことに気づいた。

付き合う期間が長くなるにつれ、期待されてるのかもしれない、申し訳ないと思う気持ちが大きくなり、ついに一方的に振ってしまった。相手には泣かれてしまった。

でも相手の方が年下だったし、本当の事なんか言えなかった。

私には二度と恋愛をする権利がないと思った。

 

昨今LGBTという言葉も有名だし、性的マイノリティについても広く知られるようになった。私は当事者に直接言うなんてことはしないけれど、ちょっと彼らを羨ましいなと思ってしまう。ゲイであれレズビアンであれ、自分が何者なのかちゃんと自認出来ていることが。

私が父から受けたことは、レイプ等もっと酷い性被害を直接受けた方から見れば全然大したことがないと自分に言い聞かせていたし、だからか男性への嫌悪の根本が何なのか自信がなくなってきていた。

もしかしたらただのノンセクシャルなのかもしれないとか、レズビアンなのかも知れないとか、色々悩んだし、自分が好意的に見る男性や女性に対して「自分はこの人をどのように好きなんだろう?」といちいち考えてみたりした。わざと男性の半裸を長い間眺めてみたりもしてみた。

そうしているうちに、段々自分の全てが馬鹿らしくなって、酷く疲れた。

 

自分の受けた被害を人に話したことも何回かある。

初めて勇気を出してカウンセラーに話した時は、「男性はみんなそういうものなんですよ」と軽くあしらわれてショックだった。今思えば、あれはセカンドレイプの類だったのかもしれない。

かといって、別に慰められたいとも思っていなかった。

「大変だったね、辛かったね」

そう言われても、受けたことが全て水に流れて消えてくれる訳ではないし、そこで会話を終了させられてしまう気がして、ただ(この人にはもうこの話は出来ないな)と思うだけだった。

自分は物凄く考える人間だから、上記に書いた自分の経験を一緒に分析してくれる人が欲しかった。どこまでが正常なのか異常なのか、誰がどう悪くて、自分はどうするべきだったのか。アドバイスしてくれる人が欲しかった。解答をくれる人が欲しかった。

でもセクハラやパワハラの蔓延するこの社会を見るに、まずそこまでしてくれる人、できる人自体、そんなにいないんだろうということに気づいた。

明るく楽しそうに生きている人を見ると、身内に対してこんなにドス黒い感情の塊を常に持っている自分自身が、嫌いでたまらなかった。

 

大学時代に、一番受けてよかったなと思う講義がある。ジェンダーだ。

立ち見も沢山いるような人気な講義で、尚且つ毎回授業内にレポートを提出しなければならないというシビアなものだった。講義では日本における潜在的な男女のジェンダーギャップの深刻さに気付かされた。

自分の書いたレポートが評価され、印刷されてその場の何百人もの生徒に配られた時なんかは、得もいえぬ達成感を感じた。

 

でも。

大学では様々な「正しさ」を学んだけれど、社会に出てみると「正しいことを正しいと知っているだけでは救われない、間違っていることを間違っていると知っているだけでは救われない」という事を、ことあるごとに痛感した。やるせない気持ちになった。

創作活動の過程で、某イベント会社に展示参加のオファーを頂いた。あのFashion Pressに広告が出せるくらいの力を持つ所だから、沢山の方に自分の作品を見てもらえると喜んだ。

でもその会社は過去に、若い女性の足だけを切り取った写真の展示を行っていた事を知った。まさか創作活動にまで、性差別の問題が絡んでくるとは思わなかった。

自分自身も被害者であり、それらの問題についても学ぶこともし、それでもその上で、自分の作品を優先して参加するべきなのかどうか、何日も何日も泣くほど悩んだ。(その件は相談に乗って下さった方もいました。本当にありがとうございます)

最終的に参加することにしたし、やはり沢山の方に作品を見ていただくことが出来た。それでも一抹の不信感は拭えなかった。

 

 

話はSNSのことに戻す。

Twitterでも、段々と社会問題が話題に上るようになった。

私は大学を選ぶにあたり、「社会問題に対して自分の頭で考え、意見を言える人間になりたい」と思ったから、美大進学をやめて一般大学に進んだ。物凄く物凄く悩んだ結果だった。だから初めはこうしたTwitterでの人々の変化を嬉しく思ったし、欠かさず自分も考え、意見を呟くようにした。

そういったことを呟くには、格段にフォロワー数を持つ創作垢で発言した方が良いだろうと思った。

けれども、何を語っても反応は薄いし、その度にフォロワーが減っていくのを目の当たりにして虚無を感じた。

「ああ、この人達の興味があるのは私の作品だけで、私自身の事や、私が学び培った思考、意見には興味などないのだな」と気づいた。複雑な気分だった。

現に、ただ楽しそうに作品を載せ続けている人がどんどんとフォロワー数を増していくのを、嫌という程目の当たりにした。

またTwitterでは、少し前に作品が所謂「バズり」を経験し、やはりSNSでは何万人もの人に作品を見てもらえる機会があることを再認識してしまった。

そして繰り返し私の夢は「世界中の人に自分の作品を見てもらうこと」だったし、作品は自分の「唯一の取り柄、存在意義」だとも思っていたから、上手い下手でならともかく、「私」を出すことで作品が嫌われることを、何よりも恐れていた。

だから「余計なこと」を呟いて、作品を見てもらえなくなる要素を自分で作っていることを自覚するのは、自己嫌悪も感じてとても辛かった。そんなことだから、段々と Twitterではただ作品の写真を載せるだけにシフトしていった。でもそれは機械的でつまらなくて、自分が何をすることが「幸せ」だったのかどんどん見失っていったし、せっかく美大進学を断念して一般大学を選んだ理由を繰り返し思い出し、自分を責めた。

それから自分の身内にすらどう対処すれば良かったのかわからなかった自分には、結局のところ何か意見を言う権利も無くて、誰かを救うことも出来ないのかもしれないとも思った。

そして、そんなことを思いながらも毎日Twitterのまとめ欄でニュースや社会問題を見てしまうのは精神的に辛くて、多分もう、そろそろ耐えられないなと気づいた。(もともと英語の勉強にTwitterを利用していたから、検索は今でも毎日利用するし、同ページに載せられるまとめやニュース、話題のツイートは嫌でも目についてしまう)

 

きっと、SNSを利用した創作活動は、「コンテンツになりきれる人」が上手くやっていけるのだと思う。それから自己肯定感が満ちていて、セルフプロモーションが出来る人。自信が無い上に、色んなことを考えて口にしてしまう不器用な私には、両方とも無理だと悟った。

私は人間で、私はコンテンツにはなれません。

 

世界中が繋がっていて、あんなに素晴らしくて夢みたいだと思っていたTwitterInstagramを、続けることが辛いと思うようになってしまったことが、ただただ悲しい。

考えられる人間になりたいと思っていたのに、考えることに精神が悲鳴をあげることになってしまったことが悲しい。

でももう疲れてしまった。ここまで書いた様々な出来事、それ以外のことも全てが引き金となって、ストレスが幾重にも折り重なって、睡眠障害や鬱になった。

私は最終的にはTwitterをあまり利用せずに、創作活動を出来るようにしたいと今は考えている。もう一つの創作ブログをメインにできるように更新を頑張ろうと思う。

とにかく今はもう何も考えずに気にせずに、ただ楽しく作品を作っていた昔みたいに戻れるようになりたいなあ。

 

そんな中でも、メンタルヘルスのことやフェミニズムのことなど、やはりどうしても社会に対して自分なりに何か訴えかけたくて、沢山のことを考えさせてくれたアーティストについてを軸に文を書き、音楽文に寄稿をした。音楽の感想というよりはそういった目的で書いたので、読んでくれる人には何かを感じ、一緒に考えてくれたら嬉しいと思った。

ongakubun.com

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結果的に沢山の方が読んで下さって、本当に嬉しかった。文章も書くことも、私の「依存先」の一つに加えてもらえることになった。

最終的にあともう一本だけ寄稿するつもりでいま執筆しているので、その時はお付き合いいただけると嬉しいです。

 

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私は圧倒的に何かを「つくる」側の人間なので、依存先も全て作る場所が心地よくて、多分死ぬ直前まで何かを作っているんだと思う。