You are what you love, not who loves you.

ロックとアートとお布団が好き。ちっちゃいものを作る人。ここでは好きな音楽の紹介を。

SNSのこと

 ブログを再開して私はこのツールが好きだったことを思い出した。

 私は小学6年生の時から6年間くらいずっとブログを書いてたけど、大学に入ってからは他のSNSの利便性に負けてしばらく遠ざかっていた。でもブログの方が人目を気にせず沢山好きなことについて書ける気がする。日記感覚で、自分の為に。もともと文章を書くのは好きだった。

 

 私は作品を公開するツールとしてTwitterInstagramが好きじゃない。アートが消費されている気がする。Chesterについての記事でも語ったけれど、アートはそもそも人から評価を受けることが前提のものではないはず。でも上記のSNSではなんとなくそう。投稿したものはすぐに他人からいいねをされたり、拡散されたり、保存されたり、あるいは非難が飛んできたり。気にしなければいいんだけど、果たして皆そう出来ているだろうか。いつもよりいいねの数が少なかったとか、あの人からの反応がないとか、投稿した瞬間フォロワーが数人減ったとか、そんな些細なことが気になってしまう。少なくとも自意識過剰な私はそれ。発信してる側なのに受け身の立場を感じてしまって、そんなことで神経をすり減らす自分に心底うんざりしている。

 Twitterへの投稿は、まるで渋谷のスクランブル交差点に無造作に作品を投げ込んでるような気分。スクランブル交差点には大勢の人が集まる。面白い作品には人が集まり、もともと取り巻きの多い人のものはすぐに話題になって盛り上がり、赤の他人が野次馬で写真を撮りまくる。素敵な作品は通りすがりの人間が拾ってポケットに突っ込んで去っていく。多分入れたことも忘れてそのまま洗濯機にでも一緒にかけちゃうんじゃないかなあ。

 かといってお家でギャラリーを開いたところでもう誰も観に来ないんだ。スクランブル交差点の方が楽しいものがいっぱいあるってことをみんなもう知ってしまっているから。無料でそこそこ楽しめることを知ってしまっているから。無名のアーティストはそこも割り切った上で投稿していくしかないのかもしれないけど。

 また昨今は更新度の高い4コマ漫画やちょっとしたイラストがとかく持て囃されている。加速するSNSという空間が生み出した「ファストアート」というジャンルなんだろうと思う。もちろんアートは時間をかければかけるだけ素晴らしいだなんて決して思ってはいないけれど、私の作っているものはファストアートの対極でものすごく時間がかかるものだから、時々少し悔しくなる。

 だって私はSNSに流れるものは大切にしないことに気づいてしまった。いいねをしたツイートを何度も見直す人なんていないだろう。私はしない。大体その場限り。だからきっと殆どの情報は多分私にとって必要がないもののはずなんだ。SNSは「必要の無い必要な情報」だらけ。自分の足で手に入れた情報やアートの方が大切にする気がする。自分で探し出して見つけたもの。自分のお金を払って購入したもの。その方がちゃんと価値を感じようとする。私はそういうもので自分の身の周りを固めたい。

 

 話は変わるが、「鬱」という言葉はなんとなく敷居が高い。病名というイメージが強いからか。まあ病名なんだけど。知っている人間に鬱かもしれないと言ったらまず、そうは見えない、みんな同じストレスを抱えているんだ、お前だけじゃない、甘えだ、我慢しろ、そう言った冷たい意見が返ってくることがほとんどな気がする。だから軽々しく口にできない。

 気持ちの落ち込みを表現するのに私は英語のdepressionの方が好きだ。口にしやすい。depressedという形容詞はただその時の心の状態を表現するのに使える気がしている。英語圏の人は日本よりメンタルヘルスについてオープンな気がするし、Chesterの死を受けて様々なアーティストが口にしはじめたりもしている。

 depressionというのは四六時中人を支配している時もあれば、そうとも限らない。ふとした瞬間に現れて心を蝕む時もある。時々いきなり泣きたくなったり、眠れない夜をもたらしたりする。でもその辛さを他人に理解してもらうことは難しい。私がそれだった。あなたは鬱じゃないでしょう。時々部屋で音楽を流してるじゃない、あの時も鬱だっていうの?他にも学校に行けてるじゃない、仕事出来てるじゃない、人と遊んでたじゃない… etc。

 それから昨日訳したMarianas TrenchのAlibisもそうだけど、人は簡単に自分を偽れるんだ。Chesterだって亡くなる数日前にも笑顔を見せていた。もちろんそれすら出来なくなる人もいるだろうけど、それが出来るお前はまだ大丈夫だなんて、一定のラインまでは認めないみたいな風潮は好きじゃない。何かが「出来る」「出来ない」だけではdepressionは定義づけられない、少なくとも私はそう思う。

 そんな観点からも私はTwitterInstagramが好きじゃない。私が憂鬱を吐き出した数時間後に好きな音楽の話をしたら、きっと大して落ち込んでもないのに弱音ばかり吐いている人間だと思われる。それが自分を励まそうとして聴いてた音楽だったとしても。実際そんな空リプを貰ったこともある。

 それからInstagramも、色んな写真を投稿する人よりも食事の写真ならば食事の写真を、服飾なら服飾関連を、ただただ載せ続けている人の方が圧倒的に人に好かれる。そういう人だと思われて扱いやすいから。著名なアーティストだかが本職ではなく趣味のゲームの話を呟きすぎてファンから怒られたなんて話も聞いたことがある。

 これらのSNSはなんとなく薄っぺらな一枚岩のペルソナを利用者に押し付けている気がしてならない。人間は沢山の引き出しがあるということ、またそこで表現されているものはその人自身の本心とは関係がないかもしれないということを、忘れがちになってしまう。

 

 ここ数年の私の精神は常に4つ角を黒にとられたオセロみたいな感じ。ここまでくると勝負の雲行きが怪しい状態。白が奮闘してもちょっとした拍子に黒に全部ひっくり返されてしまう。ちょっとしたマイナスのことで激しく落ち込んでしまい、嬉しかったこと、楽しかった思い出をかき消してしまう。鬱状態が酷くなると好きなものへの関心も無くなって、私の場合は音楽が聴けない、食べ物の味を感じない時があった。

 ところで、何かが「好き」というのは、強烈にポジティブな感情だと思う。この感情は何者にも邪魔をすることができない、ひたすらまっすぐで明るい感情だ。一度その感情を失った経験があるからこそ、好きなものを好きでいられることの素晴らしさを今はすごく感じている。私は常に「好き」という感情を大切にしていきたいし、自分の好きなものについて書き出すことは良いことだと思っている。好きなものが好きであるということをちゃんと再認識できるから。

 

 先日書いたリンキンのChesterに寄せた文章はこちら。

carcrashheart.hatenablog.com

 

  昨日訳したMarianas Trenchの歌詞はこちら。そう、Chesterの死を受けてこの曲の歌詞をどうしてもちゃんと理解したいと思った。Joshも鬱に苦しんでいたアーティストの一人だったから。

carcrashheart.hatenablog.com

 

 せっかくブログを再開したので自分の作品も載せたいし、ずっと書きたかった旅行記や留学記なんかもいずれ書こうと思う。それからもちろん好きなものの話も。